荒野へ (集英社文庫)

荒野へ (集英社文庫)

映画にもなった。

1992年4月、ひとりの青年がアラスカ山脈の北麓、住むもののない荒野へ徒歩で分け入っていった。四か月後、ヘラジカ狩りのハンターたちが、うち捨てられたバスの車体のなかで、寝袋にくるまり餓死している彼の死体を発見する。彼の名はクリス・マッカンドレス、ヴァージニアの裕福な家庭に育ち、二年前にアトランタの大学を優秀な成績で卒業した若者だった。

正直、読んでいくうちに彼の傲慢さや無謀さ無鉄砲さに呆れて家族を悲しませる結果になったこの旅へと彼が向けた情熱みたいなものすらなんともいえない無茶苦茶でただ自分勝手な、視野の狭い考えの浅いものに思われて一歩ひいてしまったのだけれど、そんな気持ちを見透かすかのようなクラカワーの語り口、控えめながらも擁護し、非難するところは非難し、できる限り中立であろうとする彼の真摯さに読めば読むほど惹かれていき気づけばラストは号泣だった。自分でもびっくり。彼は無謀だったかもしれないし、ある意味浅はかだったかもしれないけれど、それでもひたむきに何かに向かい合って向き合って一生懸命生きようとしていた。最後に彼が残した言葉にそれが全部集約されていると思う。いろんな人に影響を与えながらいろんな人と関わりながら彼は荒野へと入っていき、そうして二度と出てこられなくなってしまった。丹念に彼の行動を追い、彼が出会った人々に話を聞きじっくりとクリス・マッカンドレスという一人の青年を掘り下げていく過程のなかでなぜ彼がこんなにも好かれたのかその一端が垣間見えたような気がする。それは本当に、小さなしっぽだろうけれど。以下の文章を読んではたと自分が恥ずかしくなった。いつもどこか、誰かの言葉に対して(特に楽観的な物言いに対して)悲観的な物言い、ネガティブな要素をいうことがよくあってそれはでも、この中でいうところの、何も知らずただ与えられた情報のみを頼って否定的な意見を言うだけの人間と同じなんだろう、とやっと気づいた。

「たしかに、たいへんなへまをしでかしたよ」と、ローマンが応じた。「だけど、彼がやろうとしたことには関心しているんだ。あのように何か月も、土地があたえてくれるものだけを食べて生きていくなんて、なかなかできることじゃない。私にはそんな経験は一度もない。マッカンドレスを無資格者呼ばわりしている連中のなかで、同じような経験をした者がたとえごく少数いるにしても、せいぜい一週間か二週間程度だろう。(後略)」

彼の気持ちの80%はすごく理解できる。突き動かされるような衝動も、希望も切望も全部。それでも自分と彼の差は、彼がへまをしてしまったということ。彼が、死ぬことすらもある意味受け入れていたということ。それは遠く大きな差。