空港の建物をでた瞬間、空気に圧倒された。
国ごとになにがしかの空気、においをもっているとは聞いたことがあったが、このことかとその瞬間にわたしは実感したのだ。これがベトナムの空気なのだ、と。
空はもう暗い。日本で調べてきた情報を必死に頭の中に浮かべる。空港からはタクシーを使うのが無難だとか、タクシーは相場をつかんでおくことが大事だとか。そんなことを考えながらバックパックを抱えたまま歩く。一歩進むたびに、タクシーの運転手なのか空港の職員なのかわからない人々が声をかけてくるのに「No,Thank you」と答え急ぎ足で目的のタクシーを探す。だんだん答えるのも面倒になり、携帯電話を取り出してかけるふりをして歩く。ちらちらと視線は感じるが積極的に話しかけてくるものは圧倒的に減った。その頃には少し冷静に周りを見れるようになり、空港に今いるのがほとんど現地の人かもしくはもう既に宿を決めてきた人々で迎えのバンを待っているか乗り込もうとしているのだとわかってきた。つまり、わたしのようにバックパックひとつだけ持って宿も決めずにきた人間は今この場ではあまりに少数派だということだ。にわかに焦ったわたしは、同じ飛行機でベトナムにきた日本人のカップルの姿を見つけて思わずかけ出していた。
「すいません」
ざわざわと騒がしい空港においてわたしの声はあまりに小さく弱かったが、彼女たちはぱっとこちらを振り向いた。おそらく、聞きなれた日本語に思わず耳が反応したのだろう。
きょとんとこちらを見るふたりに、わたしは勢いこんで話しかけた。
「あ、あの、宿とかもう決めてますか?もし決めてないんでしたらタクシー相乗りさせてもらってもいいですか?」
「え、うん。全然いいよ」
にこりと笑った彼女の笑顔に、わたしも思わず笑い返した。
はじめてのひとり旅の地に、ベトナムを選んだのに特別な理由はなかった。強いてあげるなら、航空券が安かったからだ。
正直、知識なんてまったくなかった。ホーチミンハノイという都市すらどこにあるのかも知らなかった。このふたつにどれほどの差があるのかもわからないまま、inとoutの地をなんとなくでホーチミンにした。
ホーチミン、いまだに地元の人たちはサイゴンと呼ぶその街をタクシーで走る。
窓外の景色はわたしを圧倒し、魅了した。空は墨の様に暗いのに、驚くほど地上は明るく暑く雑多で、乱暴なバイクや車が車線なんて存在しないかのように走る。飛行機の窓から見た驚くほどの数のバイクは地上にいてなおわたしを驚かせた。
そこには、わたしが想像した以上の"アジア"があった。屋台、熱気、浅黒い肌の人々、見なれない言語で書かれた看板、鮮やかな色の服。
初めてのアジアで、わたしはあっさりと旅の魅力につかまったのだ。