イスタンブールから船に乗って (新潮文庫)

イスタンブールから船に乗って (新潮文庫)

旅は辛抱だって?私はびっくりしたが、彼にとっては旅は辛抱なのかもしれない。
西洋人の単独貧乏旅行者が大きなリュックを背負い、水の瓶を片手に黙々と大地を踏みしめて歩いている姿を見ると、求道者とか修行僧といった印象を受けることがある。彼らにとって、旅は見聞をひろめ、好奇心とか冒険心を満足させるだけでなく、自己鍛錬の場でもあるのかもしれない。粗食に耐え、堅いベッドに寝ても、西洋の若者たちは見るべきものは貪欲に見て歩く。そこへいくと、日本人の若い旅行者たちはどうもだらだらしていて迫力に欠ける。移動を旅というなら確かに旅はしているのだろうが、見るべきものを見ず、ごろごろと日本人同士かたまって「あそこの宿は安い」だの「あそこの食堂は高い」だの、そんな話ばかりしている連中が少なくない。(P.82)

チキンとピラフで16万リラ(224円)。15万リラ出して、あと1万リラのコインを探していると、それで結構ですよと、15万リラだけ受け取って、にこにこしている。親切に慣れっこになってはいけない、感謝の気持ちを忘れてはならないぞ、と私は自分に言いきかせた。(P.90)

広場に戻ると、屋外喫茶店に昨日スメラ行きのバスでいっしょだった日本人の若い男女がすわっている。2人で旅行しているというから、「新婚旅行?」ときくと、「やだあ、私たち学生ですよお」と言う。彼らも貧乏旅行で徹しているようだが、なんだかボーッとした連中だ。「アヤ・ソフィアは行った?」「どこも行ってない。毎日ホテルでごろごろしてるんだけど、暑くってやんなっちゃう」韜晦趣味で言っているのでもなさそうだ。「トルコはもっと安いと思ってた。エジプトじゃあ1ヶ月2万円で暮せたのに」などとピントはずれなことを言っている。ボーッとした日本人貧乏旅行者の例にもれず、高い安いという話ばかりだ。私がボズテペで親切な一家にご馳走になった話をすると、「わあ、それなら行ってみよう。どうやって行くの?」と言う。冗談にしても心根が卑しい。貧乏旅行者はほんとうの貧乏人ではない。自分の楽しみのために、すき好んで貧乏旅行をしているのだということを忘れてはならない。貧乏旅行者は他人の世話になって当然と思い込んでいる不逞な輩がいる。なんだかおかしい。(P.102)

耳に痛かったので書き出してみた。